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“You made my day.”

“You made my day.”
(参考訳)あなたのおかげで良い一日になったよ。


これを初めて言ってもらえたときは、とても嬉しかったです。
もう30年前のことなのに、今でも覚えているくらいです。

それは、サンフランシスコの語学学校に通っているときでした。
ライティングの授業で、順接や逆接の接続詞を上手に使って文章を書く練習をしていました。
クラスのみんなが使っていなかった接続詞を私が使ったことで、講師が “You made my day.” と言って、私の文を褒めてくれたんです。


You made my day (今日はいい一日になった)。
ゆきち(私のこと)が新鮮な言葉を使ってくれて気分がいいから、今日はスキップしながら帰る」と。

その接続詞は確か、“Thus”だったかな。
もう昔のことでそれさえもうる覚え。


だけど、その男性の先生が笑顔でスキップしながらサンフランシスコの街並みに消えていく様子を想像して、みんなで笑ったのもおぼえています。

UnsplashBen Whiteが撮影した写真

You made my day”がそこまで人をハッピーにさせるのだから、これからは私が使う番だと思って、この言葉、何かと使うようにしています。

私の知らない耳より情報をおしえてくれた人に、“You made my day.”と言ってみる。
困っているときに助けてくれた人にも、“You made my day.”
おなかをかかえて笑わせてくれた人にも、“You made my day.”

このフレーズ、世界を平和にさせる力があると思う。

UnsplashHelena Lopesが撮影した写真

“My help comes from the Lord who made Heaven and Earth.”

アナは、フィリピン出身で、私が受講しているオンライン英会話の講師をしている。

オンライン英会話のサイトに掲載されているプロフィールの写真の彼女は、目を引くようなとびっきりの笑顔で、明るくてそれでいて優しい感じにあふれていた。

その写真があんまり好印象なので、彼女のレッスンを受けた。
予想どおり、人柄の良い人だった。

私は講師の経験談や価値観や将来の展望などを聞くのが好きだ。
世界にはいろいろな考えがあり、人生がある。
私の世界観を揺るがす話も聞けるときがある。

アナからもそんな話が聞きたくて聞いてみたりするが、彼女はあまり多くは語ってくれない。
何かあるのかな。まあ、彼女が話したくないなら詮索するのはやめよう、と思っていた。

それでも、彼女のレッスンを受けるたびに、彼女の日々が少しずつ見えてきた。
あのとびっきりの笑顔からは想像できないくらい、彼女は苦労の日々を送っていたことがわかってきた。

具体的な苦労の内容をここに書くのはやめておく。たぶん彼女が望まないから。

あるとき、彼女に「好きな言葉はない? 自分を支えているような言葉とか」と聞いていみた。そしたら、数日後にこの言葉をおしえてくれた。

“My help comes from the Lord who made Heaven and Earth.”

UnsplashTimothy Eberlyが撮影した写真

“My help comes from the Lord who made Heaven and Earth.”
(参考訳)私の助けは、天地を作られた主から降りてくる。

詩編121(しへんひゃくにじゅういち、または詩篇121篇、正教会訳で第百二十聖詠)は『旧約聖書』(ユ ダヤ教聖書)の『詩編』の第121目の詩で、ユダヤ人がエルサレムへ巡礼に向かう際に歌った「都に上る歌」(Songs of Ascents)詩編120~134の中でおそらく一番知られている。

「詩編121」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
最終更新 2019年10月11日 (金) 10:01 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

「この言葉のどんなところが好き?」と彼女に聞いてみた。
アナの答えはこうだった。

“I don’t really have any particular favorite word or saying.
I usually like what I am relate on.
But most of the time, I love what the word of God says in the Bible.
It is my only source of strength, hope, comfort, and truth.”

(参考訳)
特別好きな言葉はなくて、そのときどきで違うかな。
たいていは聖書の中の主の言葉が好き。
私の強さ、希望、なぐさめ、真実はどれも聖書からくるものだから。

彼女とは違い、私は敬虔なクリスチャンどころか無宗教信者なのだけれど、仕事帰りに毎日のようにお参りする神社がある。
神様にはいろんなことを話す。
そしてお願いする。
彼女の苦労がいつか報われるようにと。

“The Sun watches what I do, but the Moon knows all my secrets.”

セルビアのアレクサンダーとはかれこれ30年以上のつきあいになる。
実はリアルには一度も会ったことがない。
オンラインでは5,6回くらい会って話したかな。
Facebookのメッセンジャーが主な連絡手段で、ときどき近況を報告する感じ。

どうやって彼と知り合ったかというと、30年前に日本のペンフレンド協会というようなところ(記憶があいまい)に誰かを紹介してもらった。
私は英語を勉強していたので、英語で誰かと手紙をやりとりしてみたかった。

(当時はまだインターネットやメールが普及しておらず、国際郵便での手紙の交換が連絡手段。そして、海外の手紙をやりとりをする海外の友人を「ペンフレンド」と呼んでいた。)

一方、彼は日本の誰かと文通したくて、彼も私と同様、自分の国のペンフレンド協会みたいなところに依頼した結果、私が紹介されたわけだ。

UnsplashIvan Aleksicが撮影した写真

日本から遠く離れたヨーロッパの一国であるユーゴスラビア(当時のセルビアの名称)という国で、アレクサンダーは20歳にもならないうちに日本の文化に魅了されていた。
しかもそれはアニメではなかった。
日本盆栽職人や刃物鍛冶職人などの職人の技術だった。
彼は俳句も愛し、セルビアで俳句クラブにも入っていたのだった。

30年前に始まった文通がメールに代わったのがその数年後。
その後さらにFacebookのメッセンジャーに代わり、現在にいたる。

30年も経ったから、いいかげんリアルに会わないといけないと思う。
きっと何かの縁だから。
死ぬ前に必ず会わないと。

日本好きの彼が来日するのが最高なのだと思う。
そしたら私が国内をガイドしよう。
彼は京都の包丁職人に会いたいと以前言っていたから、京都に行こう。
富士山も見たいというから、東京を出発点に、富士山に向かって、それから本命の京都かな。

そんな彼に「好きな言葉はない?」と聞いてみた。
私が最近始めたブログに載せたいからとお願いしたら、この言葉が送られてきた。

“The Sun watches what I do, but the Moon knows all my secrets.”

UnsplashJason Blackeyeが撮影した写真

“The Sun watches what I do, but the Moon knows all my secrets.”
(参考訳)太陽は私がすることをすべて見ている。でも月は私の秘密のすべてを知っている。

なんだかミステリアスな感じ。意味がわかるようなわからないような。
こんなタイトルの映画でもあった?

そこでアレクサンダーに聞いてみる。
「これが好きな理由をおしえて?」

そして彼の答えがこれ。

“Days are normal, but nights are so magical… Cats sleep in the daytime and they are active at night. You know, I like cats.”

そうね、たいがいの人は夜は寝ている。
夜起きているのは一部の人たちと猫ぐらい。
その人たちが秘密裏に何をしているのかは月だけが知っている、っていう感じ?!

アレクサンダーの好きな言葉をここにこうして掲載させてもらいます。
アレクサンダー、ありがとう。
彼との長い友情に乾杯。

“I’m almost furniture here.”

以前勤めていた大学では、在日大使館から大使や大使館職員の方々が来学することがありました。
来訪目的は、学長や副学長への表敬訪問だったり、学生への講演をすることだったりでした。

事前に大使館と訪問の調整をしたり来訪当日のご案内を私がすることもあったので、私も大使館の方々にお会いするチャンスがありました。

大使館の方々は、やはり国によって特徴があるように思います。

大使館の方々はその国の代表ですので、間違いなくお偉い方々です。
なのでそのとおり威厳のある態度をとる方もいらっしゃいますし、その一方、フレンドリーで気軽に話しかけてくれる方もいます。

アフリカの国の大使館の方々は、まずフレンドリーという印象。
冗談を言って、笑わせてくれます。アフリカの特徴的な鮮やかなカラーの服装もいいですね。
アフリカのどこどこの大使が来ると聞くと、当日までとても楽しみです。

その日も、アフリカのある国の在日大使館から大使ご一行が来学されました。
うちの大学を訪問するのはもう4、5回めと大使はおっしゃい、そのあとこう続けました。

“I’m almost furniture here”.

UnsplashDan Cookが撮影した写真

“I’m almost furniture here”.
(参考訳)私はもうこの大学の家具みたいなものですよ。

さずがにこれには吹いた。
家具みたいにここにずっといるようなもんだって?!
そこまで言う?!

この話、何かと誰かを見つけては「この間、あの大使がこんなこと言ったんだよ!」とおしえて笑い、しばらくはこのネタで楽しみました。

大使館職員は国の代表。こんな感じで国の印象を決めてしまいます。
ユーモアは相手に間違いなく良い印象を与えます。
外交は個人と個人の関係づくりから始まって、最後には国レベルまで広がるものだなと思うと、アフリカの大使はどの国よりも良い役割を担っているだろうと思うのです。

“Hello, Ellen.” “Hello, Taro.”

私が英語を初めて習ったのは中学1年の学校の授業でした。

今は、小学校中学年あたりから英語の授業がありますが(英語圏出身の先生までいる!)、私の場合はもうウン十年も前のことなので、英語は中学からだったんです。

そうは言っても、クラスメートは小学校から始めている子もたくさんいました。中学で英語が初めてという子は少数派でした。

小学校から始めていたクラスメートにとっては、1学期の英語など基礎の基礎で、お手の物。
何の苦もなく、余裕で過ごしているように見えました。

一方、私はとても苦労しました。
教科書の最初の英語のフレーズは、
“Hello, Helen.” “Hello, Taro.”
だったのですが、それを教科書を見ずに覚えて発表することもできません。
“Hello, Helen.”と言ったあと、また教科書をチラ見して確認してから、“Hello, Taro.”を言ったのを覚えています。

それから、“chair”のスペルがどうしても覚えられなくて。
“エア”という発音と “air”のスペルがどうも 別物のように思えてしまって。
「このままではまずい」とさすがに焦りました。

UnsplashGreen Chameleonが撮影した写真

そのため、夏休みは英語に集中。1学期の復習を完璧にし、2学期の予習までして、2学期に挑みました。

おかげで、2学期はすっかり英語が好きになり、得意になっていました。
努力が実るという体験ができたのです。

猛特訓したあの夏休みがなければ、今の英語好きの私は存在しなかった。人生のターニングポイントでした。

今でも忘れられない EllenとTaro。 
それにしても、Taroっていう主人公の名前、いかにも昭和で笑っちゃいますね。

“Where there’s a will, there’s a way.”

私の英語好きは、学生時代に出会った先生たちのおかげです。
運が良いことに、中学から大学まで英語の先生にずっと恵まれていました。
どの先生にもたくさんおしえてもらい、励ましてもらいました。

特に、高校のときのW先生にはとてもお世話になりました。
塾に行っていなかった私は、学校の先生を質問責めにしていました。

まあ、まずは文法の質問が多かったですよね。文法のとおりいくとこうなるはずが、この場合はなんでこうなっているのか、というような質問です。
今は「言語は理屈だけじゃ説明できない」ということを知っているので、深くつっこんでもしょようがないと思うのですが、そのときの私はまだそんな柔軟性も持たずにまじめに質問していました。
そんな私に、W先生は真摯につきあってくれました。

W先生もたいへんでしたよね。英語の先生なんだから英語のことは何でもわかるだろうと私は思っていたんです。そんなはずはないのですが、まあそれも今だからわかること。

それに、放課後私につかまったらもうしばらく帰宅できません。でも、W先生は嫌な顔ひとつしませんでした。

高校時代、英語だけは得意だったのは間違いなくW先生のおかげと言えます。

UnsplashZhaoli JINが撮影した写真

高校卒業の日が近づいてきた頃、友達同士でプロフィール帳を交換しました。
W先生にもプロフィール帳を書いてもらうのをお願いしました。

W先生は、私にこのメッセージを送ってくれました。

“Where there’s a will, there’s a way.”

“Where there’s a will, there’s a way.”
(参考訳)意志あるところに道あり

やると決めたら道は開ける、という意味ですね。

そして、私は大学の英文科に進むことが決まりました。W先生はとても喜んでくれました。これからも頑張ってね、と声をかけてくれました。

あれから何十年と経ちました。“Where there’s a will, there’s a way.”の意味が当時よりも今のほうがずっとずっと理解できます。
will (意志)がなければ何も生まれない。will さえあれば、方法や支援はなんとしてでも情報や方法は見つけることができます。

高校を卒業したあとの私の人生もいろいろありました。つらいときも苦しいときもありました。
でも、私がwillを持って今も英語を続けていること、英語で仕事をしていることを、W先生が喜んでくれていると思います。W先生が今もどこかで私を応援してくれているような気がして、元気が湧いてきます。

そんなW先生に、心より感謝を送ります。

“I’ll keep your son in my prayers.”

私はオンライン英会話でレッスンを受けています。

同じ講師のレッスンを何度か受講しているとお互いが少し身近な存在になってきて、近況を話したり、悩みを打ち明けたりすることもあります。

その日、私の息子の頭痛で受診したことをレッスンで話しました。

息子には慢性疾患があります。
定期的な受診をし、医師の指示に従って治療や生活改善を続けてきているのですが、どれも目に見えての症状の改善にはつながっていません。

それが母としてとても苦しいと講師に話したのです。

フィリピン出身のその講師は、「そうなんだ、そうなんだ」とうなづきながら私の話を聞いてくれました。そして、こう言いました。

“I’ll keep your son in my prayers.”

“I’ll keep your son in my prayers.”
(参考訳) あなたの息子さんのこともお祈りするわ。

カトリックの彼女は、毎晩お祈りをするそうです。神に感謝の言葉を述べ、そして困っている人がいればその人への神の御加護を求めているそうです。そのときに、私の息子のことも祈ると言ってくれたのです。

私の息子のことを思って祈ってくれる。彼女の言葉が本当に嬉しかったです。

宗教は違えど

数か月前、私は通勤経路を変えたら、神社の前を通るようになりました。小さいけれど立派な神社です。

彼女の影響を受けて、私も毎日のようにお参りするようになりました。
今日も無事に仕事を終えられたことの報告と感謝をし、息子の病気が改善するように祈り、そして困っている状況にある友人についても祈ります。
宗教は違いますが、していることは彼女と同じですね。

誰かが困っていると聞けば、私はその人に “I’ll keep your son in my prayers.” と伝えるようになりました。そして、この神社で祈ります。
みんなが幸せになりますように。

“Kids are wonderful.”

20年以上も前の話ですが、サンフランシスコで10か月間ホームステイをしました。ホストファーザーのボブは、仕事も家事も育児もこなす大忙しのパパ。私はたくさんのことをボブから学びました。

ボブの一家の日常

当時、ボブ一家のこどもたちは、12歳、10歳、5歳の3人。ボブ一家の平日の予定はこんな感じ。

朝6時 起床
朝7時 家を出発 こどもたちを保育園と学校へ送る
午後3~4時 こどもたちを迎えに行く
午後4時 家で軽食
午後5時 こどもたちを習い事に連れていく
午後7時 夕食 夜9時 就寝

当時の私は育児を経験していないので本当のたいへんさは知らなかったのですが、それでも休む暇があまりないことは見てとれました。

そんななかでも、私に気をかけてくれ、こどもたちと一緒に何かと連れて行ってくれたり、おもしろいテレビ番組をおしえてくれたりしてくれました。

“Kids are wonderful!”

こどもたちが寝てしまったあと、ダイニングでボブと2人で話をしていたときのことです。

詳細は憶えていないのだけれど、私が「毎日忙しそうですね」と言ったことに対して、ボブは「そうだねえ、こどもは世話が焼けるんだよねえ」と言ったあと、

“Kids are wonderful!”

と続けました。

普段は大げさな表情や表現はしないボブ。だけれど、このときばかりは、見るからに幸せなパパの満面の笑みを浮かべていました。

3人のこどもはこんなパパを持ってなんて幸せなんだろう、とつくづく思いました。

そして、20年以上経った今も、忘れられない一言になっています。

この言葉の意味と深さ

時を経た今、私にも中学生の息子がいます。まだまだ育児真っ最中で、何かと手がかかります。育児の本当のたいへんさを実感しています。当時のボブと似たような状況を経験している今、私もボブと同じように「たいへんなんだけど、Kids are wonderful!」ってやっぱり答えるのかなあと思います。

ボブの現在

昨年、ボブの一番下の女の子が結婚して子どもも生まれました。そう、ボブはもうおじいちゃんになったんです。ボブは相変わらず優しそうなグランパになっていました。

https://unsplash.com/@liane

” I’m grateful for Nikkei. “

自分の世界観を変えたパラグアイの方の一言。今日はそれを紹介しますね。

パラグアイってどんな国?

パラグアイは、南アメリカにある国で、ブラジルとアルゼンチンの間に位置しています。母国語はスペイン語です。

日本との関係

第2次世界大戦前から日本政府はパラグアイに国民の移住を進めていました。当時の日本は、景気が悪く仕事がない状況でした。特に、沖縄では深刻な状況でした。

そんな背景があり、日本政府がブラジルをはじめ南米への計画移住を進めていたのです。

パラグアイ人の彼女が語る日系人

パラグアイのその彼女は、パラグアイにある小さな大学を設立した学長でした。学長と言えば日本では定年間近の60歳代の教授が務めるとが多いのですが、その彼女は若干40代でした。

彼女の地域にも日系人が住んでいるそうで、彼女が言うには、日系人はとても働き者。そして、大豆の栽培などの農業の技術をパラグアイにもたらしたそうです。

そして、彼女はこういいました。

“I’m grateful for Nikkei.”

“I’m grateful for Nikkei.
They came all the way to Paraguay and brought the wonderful culture of Japan to us.”

(参考訳)「私は日系人に感謝しています。彼らは遠いパラグアイまでわざわざ来てくれて、日本の素晴らしい文化を私たちにもたらしてくれたのです」

、、、私が移民で、こんなふうに迎えてもらったら感激で号泣しちゃいますね。

苦しい生活を抜け出したくて日本を飛び出し、遠い見知らぬ国、パラグアイに旅立った日本人。現地でも苦労したことと思います。そんなみなさんがこの言葉を聞いて、どんなにか救われることだろうと思いました。

新しい価値観

さて、この話は日本から海外に移住したケースですが、その逆を想像してほしいんです。海外から日本に移住したケースです。

例えば、韓国から日本に移住してきた人たち。在日コリアンだとか在日韓国人とも呼ばれる人々。
私たちは彼らに向かって「日本に来てくれてありがとう」と言うでしょうか。

また、フィリピンなどの東南アジアから移住してきた人たちに、「日本に来てくれてありがとう」と私たちは思っているでしょうか。

私たち日本人は、移住者に対して感謝するどころか、「なんで日本にいる?」「なんか危険そう」などの否定的な感情を抱いていないでしょうか。

そんなことを考えれば考えるほど、パラグアイの彼女の言葉の重みに感激し、新しい価値観に触れたことを実感しました。

パラグアイの彼女に心から感謝。