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アレクサンダーの俳句②

アレクサンダーの俳句②

Snow writing with footsteps. I’m adding my signature. (英訳)

足跡で雪に書く。私は署名を書き足す。(和訳)

俳句の背景 – アレクサンダーによる解説

One quiet winter morning, there was snow on the ground.
There was no one but me, walking in a park.
I was writing on the snow with my footsteps,
and my last step was my signature.

アレクサンダーによる解説

冬の静かな朝でした。雪が積もっていました。
私は誰もいない公園を歩いていました。
雪の上を歩く足跡は、雪の上の文字となり、最後の足跡は私の署名(サイン)となりました。

参考和訳
アレクサンダーの家の庭とペットの猫。アレクサンダー撮影/提供

注釈:アレクサンダーの俳句と言語

アレクサンダーの母語はセルビア語です。
彼はで俳句をセルビア語で詠み、それを先生に翻訳してもらったものがこの英語の俳句です。

そのため、セルビア語では5-7-5の韻を踏んでいても、英語になるとそれが必ずしもそのとおりではなくなっていることがあります。

また、英語はアレクサンダーの母語ではないので、英語の俳句では、彼のオリジナルの俳句とはニュアンスが違う、英語が不自然などのことが起こりえます。

アレクサンダーの俳句①

U ZIMSKO VEČE LUTAJUĆI TRAŽIM OSVETLJEN PROZOR. (原作:セルビア語)
One winter evening, wandering, searching for lit windows.(英語訳)
冬の夜 窓明かり求め さまよい歩く(日本語訳)

俳句の背景 – アレクサンダーによる解説(和訳)

高校を卒業したあとは、実家を出て一人暮らしをしながら専門学校に通った。
12月の放課後のある日、あてもなく歩き回った。
とても寒い日で、もうすぐ雪が降りそうな空気のにおいがした。
明かりがついた窓から、どんな人が住んでいるんだろうと思ったりした。
家族や実家を思い出しながら。
23歳のとき、当時のことを思い出して、この句を詠んだとのこと。

アレクサンダーの寝室。画像はアレクサンダー提供。

アレクサンダーの日本文化との出会い


セルビアに住むアレクサンダーは、大の日本好き。
海外の人が日本に関心を持ってくれる多くの場合は、アニメがきっかけなことが多いが、彼の場合はアニメではない。
彼は、日本の伝統文化である、盆栽、俳句、包丁や器を作る伝統工芸に深く感銘を受けたからだと言う。

セルビアに住む彼が日本に興味を持ったきっかけ

セルビアという日本から遠く離れた国で、どうやって日本のことを知ったかというと、ある本を読んだことからだと言う。

その本は、ドナルド・キーン作 “Anthology Classic Japanese Literature” だった。原作は英語だったのだが、彼はセルビア語の翻訳本を読んだという。

当時、その本は劇場や図書館で特集され、何かと話題だったらしい。
アレクサンダーは、隣町の図書館でのイベントでこの本を知り、読むことになったと言う。
1987年、彼が20歳の頃のことだった。

クラリエボ(セルビア)の俳句クラブ

その後、彼の町に俳句クラブができたことでも、その本の影響力がわかる。

彼の町クラリエボは、セルビアの首都ベルグラードから少し南に下ったあたりで、国のちょうど中央に位置する地方都市。
調べると人口は12万人。
日本から遠く離れたこの小さな町で、20人ほどのメンバーが所属する俳句クラブが生まれたのだ。

どんな活動をしていたのかをアレクサンダーに聞いたのだが、よくわからない。
いや、特に何もしていないとアレクサンダーは言う。
クラブに名前は登録したけれど、集まったりはしなかったという。
俳句の先生がいたわけでもないらしい。
どこかで俳句大会があると、応募したメンバーが賞をとったこともあったらしい。
そのころ、アレクサンダーに言われるがままに、自分の写真やら名前やらを送ったことで、私もそのクラブに所属していたことになっていたはず。

日本語を使わない俳句

アレクサンダーもクラリエボの人もセルビアの人も、日本語はまずできない。
なので、言語はセルビア語を使って俳句を作ったらしい。

俳句のルールは、日本のそれともちろん似てはいるが、違う点もある。

似ているところは、5-7-5。
単語の発音記号にアクセントが付く箇所を数えて、5-7-5とするらしい。
(注:調べたら、音節で数えるとの記載もあるようですが、ここではアレクサンダーの話)

違う点は、季語はどうもあってもなくても良いらしい。
アレクサンダーに季語のことを聞いても、なんのことだかわかっていなかった様子。

UnsplashSunguk Kimが撮影した写真)※画像と本文は関係ありません

アレクサンダーと俳句

アレクサンダーが俳句に深く傾倒している時期はそのクラブに所属していたときだったのではと思う。

1991年から2001年まで、セルビアはほぼ常に内紛状態。
1990年代前半、アレクサンダーが兵士として招集されたとき、彼の無事を願う俳句を私に作って送ってくれと頼んできた。

私はもちろん大急ぎで作って手紙で送った。
(当時はまだメールもしていなかった)

彼が兵役から無事戻ってきたあとも、その間何があったのか話をしないし、私も無理に聞き出そうとしていないので、その厳しい状況をどうすり抜けてきたのかわかるわけもない。
だけれど、彼にとって俳句が心の支えだったことは間違いないと思う。

“The Sun watches what I do, but the Moon knows all my secrets.”

セルビアのアレクサンダーとはかれこれ30年以上のつきあいになる。
実はリアルには一度も会ったことがない。
オンラインでは5,6回くらい会って話したかな。
Facebookのメッセンジャーが主な連絡手段で、ときどき近況を報告する感じ。

どうやって彼と知り合ったかというと、30年前に日本のペンフレンド協会というようなところ(記憶があいまい)に誰かを紹介してもらった。
私は英語を勉強していたので、英語で誰かと手紙をやりとりしてみたかった。

(当時はまだインターネットやメールが普及しておらず、国際郵便での手紙の交換が連絡手段。そして、海外の手紙をやりとりをする海外の友人を「ペンフレンド」と呼んでいた。)

一方、彼は日本の誰かと文通したくて、彼も私と同様、自分の国のペンフレンド協会みたいなところに依頼した結果、私が紹介されたわけだ。

UnsplashIvan Aleksicが撮影した写真

日本から遠く離れたヨーロッパの一国であるユーゴスラビア(当時のセルビアの名称)という国で、アレクサンダーは20歳にもならないうちに日本の文化に魅了されていた。
しかもそれはアニメではなかった。
日本盆栽職人や刃物鍛冶職人などの職人の技術だった。
彼は俳句も愛し、セルビアで俳句クラブにも入っていたのだった。

30年前に始まった文通がメールに代わったのがその数年後。
その後さらにFacebookのメッセンジャーに代わり、現在にいたる。

30年も経ったから、いいかげんリアルに会わないといけないと思う。
きっと何かの縁だから。
死ぬ前に必ず会わないと。

日本好きの彼が来日するのが最高なのだと思う。
そしたら私が国内をガイドしよう。
彼は京都の包丁職人に会いたいと以前言っていたから、京都に行こう。
富士山も見たいというから、東京を出発点に、富士山に向かって、それから本命の京都かな。

そんな彼に「好きな言葉はない?」と聞いてみた。
私が最近始めたブログに載せたいからとお願いしたら、この言葉が送られてきた。

“The Sun watches what I do, but the Moon knows all my secrets.”

UnsplashJason Blackeyeが撮影した写真

“The Sun watches what I do, but the Moon knows all my secrets.”
(参考訳)太陽は私がすることをすべて見ている。でも月は私の秘密のすべてを知っている。

なんだかミステリアスな感じ。意味がわかるようなわからないような。
こんなタイトルの映画でもあった?

そこでアレクサンダーに聞いてみる。
「これが好きな理由をおしえて?」

そして彼の答えがこれ。

“Days are normal, but nights are so magical… Cats sleep in the daytime and they are active at night. You know, I like cats.”

そうね、たいがいの人は夜は寝ている。
夜起きているのは一部の人たちと猫ぐらい。
その人たちが秘密裏に何をしているのかは月だけが知っている、っていう感じ?!

アレクサンダーの好きな言葉をここにこうして掲載させてもらいます。
アレクサンダー、ありがとう。
彼との長い友情に乾杯。