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“Practice makes perfect.”

以前、私がアナに好きな言葉を聞いたとき、逆に私の好きな言葉は何かと聞かれた。

好きな言葉はたくさんあるけれど、今は英語力の向上に関心があるから、それに関係するこの言葉かな。

Practice makes perfect. 継続は力なり。

私の人生はまさにこんな感じだと思う。

勘が良くて器用な人は、物事をすぐに上達できるようである。
なのに、私はなんだか理解も悪いし不器用だし、いちいち時間がかかる。

中学1年の1学期のときの私の英語力は、ほんとにいまいちだった。
みんなと同じだけやっていたのでは追いついていけない、と悟った。
みんなが遊んでいるときも私は練習しないと同じレベルまで到達しない、と思った。

その後月日が流れて、大学に入ったら勉強しなくなった同級生がたくさん出てきた。
社会人になったら勉強など眼中にない人たちが増えた。
こどもができて親になったら、勉強するのはこどもで、自分のわけがないと思っている人も多い。

時間が流れて、気がついたら以前の英語仲間は英語からとっくに離れていった。
いつの間にか私だけになっていた。

人がやっていないときにも続けてきたから、今は、こんな私でも英語力がそれなりについたと思う。

まあそうは言っても、のろまで不器用な私なので、まだまだ完璧な英語力からは程遠い。
これからも当面は “Practice makes perfect.”をスローガンにして少しずつ前に進むしかないと思っている。

“I need plenty of rest in case tomorrow is a great day.”

ミニマリストに憧れて、本はすっかり処分してしまったが、スヌーピーの本は1冊残っている。
本棚の前を通ったとき、ほんのたまに、その本をパラパラと開くことがある。

それが今日だった。偶然開いたページにはこう書いてあった。

I need plenty of rest in case tomorrow is a great day.

明日はビッグイベントがあるかもしれないから、いまのうちにたくさん休んでおかなきゃ。

え~? ビッグイベントがあるかもだって?!
ないかもしれないじゃん。
っていうか、まずない可能性のほうが圧倒的に高いでしょう。
ただ怠けたいからそうやって言い訳しているだけでしょう?

。。。そうやってせっかくの週末も追い込んでいる私がいる。

to-do-listを短くするために必死にいつもせわしなく動いている私。
そのリストがいつになっても短くならなくて疲れている私。

明日はビッグイベントがあるかもしれないのに?
そんなに疲れていたら、ビッグイベントで元気が出なくなってるかもしれないのに?
明日こそ、ビッグイベント、来るかもよ?!

。。。さあ、どうしたらいいんでしょうねえ。

“Nothing about us, without us.”

職場の人権問題研修を受講した。そこでこの言葉を初めて聞いて、衝撃を受けた。

Nothing about us, without us. 私たち抜きに私たちのことを決めるな。

『障害者の権利に関する条約』は、国連総会にて2006年に採択された人権条約。日本は2007年に署名している。

この条約は、“Nothing about us, without us.”をスローガンとして掲げたことが画期的であり、障害者の視点から作られた条約であることが特徴的だった。

このスローガンに激しく同意である。

「こうしたら本人にとっていいだろう」と部外者が作る政策なんて、ほんと無意味。
上から目線の勘違いした人が莫大なお金を無駄にしただけではと思う。 
部外者が当事者のことなどわかるはずもない。

このスローガン、障害者だけでなく、人権をおろそかにされがちな女性、こども、高齢者、マイノリティの方々への施策にも当てはまること。

女性にこどもを産んでもらうため、日本政府や地方自治体はいろんな政策を出しているけれど、しょせん当事者の女性抜きに決めているから、空振りばっかり。
働きながら家事もして出産も育児もするなどとは遠い世界にいる男性の政治家たちが、なんでも知っているとばかりに上から目線で莫大な税金をつぎ込んだ政策じゃ解決にならないこと、早く気がついてほしい。

“Nothing about us, without us.”

アレクサンダーの俳句②

アレクサンダーの俳句②

Snow writing with footsteps. I’m adding my signature. (英訳)

足跡で雪に書く。私は署名を書き足す。(和訳)

俳句の背景 – アレクサンダーによる解説

One quiet winter morning, there was snow on the ground.
There was no one but me, walking in a park.
I was writing on the snow with my footsteps,
and my last step was my signature.

アレクサンダーによる解説

冬の静かな朝でした。雪が積もっていました。
私は誰もいない公園を歩いていました。
雪の上を歩く足跡は、雪の上の文字となり、最後の足跡は私の署名(サイン)となりました。

参考和訳
アレクサンダーの家の庭とペットの猫。アレクサンダー撮影/提供

注釈:アレクサンダーの俳句と言語

アレクサンダーの母語はセルビア語です。
彼はで俳句をセルビア語で詠み、それを先生に翻訳してもらったものがこの英語の俳句です。

そのため、セルビア語では5-7-5の韻を踏んでいても、英語になるとそれが必ずしもそのとおりではなくなっていることがあります。

また、英語はアレクサンダーの母語ではないので、英語の俳句では、彼のオリジナルの俳句とはニュアンスが違う、英語が不自然などのことが起こりえます。

“There was something very special, but it wasn’t inside Josie. It was inside those who loved her.”

職場の方が カズオ・イシグロ “Klara and the Sun(邦題 クララとお日さま)” の本を貸してくれた。夢中になって読んだ。

主人公のクララは、AI搭載のロボット。
ジョシ―という14歳の女の子のともだち兼お世話係として購入される。
だが、クララの本当の役割は、病気がちなジョシーが亡くなったあとのジョシーの代わりとなるためだった。
クララは、ジョシ―の言動を観察して習得していく。
結局、ジョシ―の体調は回復していき、クララの役割も不要となった。
そして、クララは捨てられる。

AIはどこまで人間に近づけるのか。
人間とAIの違いは何なのか。
感情は人間だけのものなのか。

そんなことを考えさせらた。

UnsplashAlexander Sinnが撮影した写真)※画像と本文は関係がありません


一番印象に残った言葉は、最終章のクララの言葉。

ジョシーそっくりの人工人間を作成していたカパルディーが「ジョシーからコピーできないものは何もない」言ったことに対して、クララが話す。

There was something very special, but it wasn’t inside Josie. It was inside those who loved her.

引用元: “Klara and the Sun” written by Kazuo Ishiguro

コピーできない特別なものはある。それはジョシーの中にはない。彼女を愛する人々の中にある。

両親、友人、お手伝いさんなど、彼女を愛する人々の中のジョシーへの思いや思い出をコピーすることはできない。
物理的なものをコピーできても、その人へ向けられた感情はコピーできない、ということか。
その視点がとても新しい。

そして、それを言ったのが、ヒトではなくAI搭載のロボットのクララであること。
人間性ってなんだっけ? ヒトは人間性ってなんだかわからなくなったの。
クララ、もっとおしえて!

“Klara and the Sun“、圧巻でした。

“One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.”

箱根にある”星の王子さまミュージアム”がこの3月で閉館になると聞いて、慌てて出かけてきた。

星の王子さまの物語を初めて読んだのは、たぶん中学生のとき。
その後ずいぶん経ってから英語版で数回読んだ。
あの挿絵のかわいらしさと本の中の王子様の無邪気さにも関わらず、端々に考えさせられる発言や出来事があり、読むたびに新しい発見がある、大好きな物語だ。

星の王子さまミュージアムにて撮影

One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.
物事は心でしかよく見えない。大切なものは目には見えないんだ。

引用元:The little Prince written by Antoine de Saint-Exupéry

これは、物語のキーとなるフレーズだ。

星の王子さまミュージアムの展示の説明で、作家のサン=テグジュペリがこのフレーズを書くきっかけとなった原体験があったことを、今回初めて知った。
それは衝撃的な体験だった。

サン=テグジュペリには2歳下の弟がいた。とても仲が良かった。
15歳の弟はリウマチを患っていた。
サン=テグジュペリが弟の枕元に腰かけていたあるとき、弟に発作が起きた。サン=テグジュペリはどうしたら良いかと慌てたが、弟は彼を制し、そして発作が治まったあと、こう言ったという。

Don’t worry. I’m all right. I can’t help it. It’s my body.
心配しないで。ぼくは大丈夫。体がしていることだから、自分ではどうすることができないだけなんだ。

引用元:Antoine de Saint-Exupéry from Wikipedia

精神と肉体とは別物なんだ、と言いたかったのだろう。

その言葉を発したその日のうちに、弟は亡くなった。
弟が亡くなったあと、あらためてこの言葉を解釈してみる。

”悲しまないで。僕はここにいるよ。大切なものは目に見えないんだ。”

15歳にして達観していた弟。
そして、自分もまだ17歳の若さで大切な弟を見送ったたサン=テグジュペリ。
その経験があったからこそ、誰もが心を打つ言葉をこうして残すことができたに違いない。

“I ended up with one movie only.”

1月を1週間も過ぎたのに、まだクリスマスの話?

そのとおり。
キリスト教の一派であるセルビア正教では、本日1月7日がクリスマスにあたる。

オンライン英会話の講師のイヴァナにそれを教わった。
セルビアではセルビア正教が一番メジャーで、その次はカトリック。
カトリックでは12月25日がクリスマス。

イヴァナの場合は、一方の親がセルビア正教、もう一方がカトリックということで、小さいころから両方のクリスマスを祝っているという。
12月24日頃から1月7日頃までお祭り気分で、この期間はあまり仕事を入れないようにしているとのこと。

「年末年始のお休みは何していたの?」とイヴァナが私に質問。
「少し大掃除をして、実家に帰って、テレビをたくさん観た。でもやりたいことの半分もできなくて残念だった。」と私。

すると、イヴァナが「わかるわ~」と、自分が休みの間に何をしていたのか話してくれた。

” I planned to read several books, including one 500-page book, and to watch 10 movies for the holiday, but I ended up with one movie only after all. We tend to have high expectations of the holiday. “

計画では、500ページもの本を何冊かを読んで、それから映画を10本観ようと思っていた。なのに、結局映画1本しか観られなかった。休みって、期待しすぎちゃうよねえ。

。。。いやいや、そもそも映画だけでも10本観るという計画に無理があったのでは?!

まあ、私も人のことは言えません。
それでも、こんどの長い休みのときこそもっとたくさんのことをしたいなと思う、イヴァナと私。

“Remain the same.”

先日、勤務している大学に、海外の大学から複数の教員が訪問した。
主要な目的はうちの大学の役員との会議だったけれど、その前にキャンパスを案内することになった。それが私の役割になった。

私の普段の業務は、自分の机の上で文書を作成することなので、自分の職場の建物以外、キャンパスを歩き回ることもないから知らない。

キャンパスツアーでは、どこにどんな施設があってだけの説明ではなくて、どんな学部や院があって、学生が何人いてなど、大学の主要な情報だって質問されるに決まっている。
私が人におしえられるわけがない。私がおしえてほしいくらいなのに。

そうはいっても仕事なので拒否できるわけでもなく、事前に付け焼刃で最低限の知識を詰め込み、キャンパスツアーにお客さんを1時間も連れまわした。

予想どおり、ろくな案内はできなかった。

だけれど、一生懸命な私の気持ちは伝わったようで、ツアーの終わりにこう御礼を言ってくれた。

Thank you for your hospitality. You’re great! Remain the same.

(参考訳)おもてなしをありがとう。君はすばらしいね。そのままでいてください。

この言葉の裏には、こんな意味が含まれている。
”努力してもっと良くなろうとしなくていい。そのままで十分良いから。”
… 最高の誉め言葉じゃないですか。
そんな言葉が自然と口に出せる彼を尊敬するとともに、私もそうありたいと思った。

本当は「そのままでいいはずがない」と思っている自分がいる。
「これでいいなんて思うな。努力して努力して、もっともっと良くならなきゃだめだ」と思い込んでいるところがある。

学校や家庭でそう言われ続けたから。
職場でもダメ出しを受けることもしばしば。
たぶんこれは日本の風潮。

日本人の自己肯定感の低さはここから来ているように思う。
こうやってみんなでで自分の首を絞めて、自分を生きづらくさせる。

UnsplashDakota Corbinが撮影した写真)

Remain the same. と同じような意味で、「ブリジット・ジョーンの日記」の映画に出てくるこんな表現を思い出す。

I like you very much. Just as you are.

(参考訳)あなたが大好きです。そのままのあなたが。

初めてマークがブリジットに告白をする場面の言葉。
自己肯定感の低いブリジットに、最高に嬉しい言葉となるのでした。

“That’s wonderful! I respect your idea.”

That’s wonderful! I respect your idea.

(参考訳)素晴らしい! あなたの考えを尊重するよ。

この言葉を言われたときは、「私の英語、通じなかった?」と一瞬いぶかった。
なぜなら、私が言ったことは、彼にとって全然 wonderfulではないはずであり、respectされるようなものではなかったからだ。

彼が「付き合って」と言ってきたので、私が断ったのだ。
私は言葉を変えてまた断った。

彼はまたもや私の意見を褒めたたえるようなことを言う。

私の脳内はこんな感じ。
「いったいどういうこと?! 
この人、振られたのに、怒ったりがっかりしないの?!」

自分と反対の意見を言う相手に「その考え、素晴らしい!」なんてとても言えるような広い心を、私は持ち合わせていない。

それから何年も経ったあと、同じような場面で同じようなセリフを映画で見つけた。
それは、ジュリア・ロバーツとヒュー・グラント主演の「ノッティングヒルの恋人」だった。

*青い看板のお店は映画「ノッティングヒルの恋人」の撮影に使用されたそうです
UnsplashNoralí Naylaが撮影した写真)

Fine. Good Decision. Good Decision. 
(参考訳)素晴らしい。良い決断。良い決断だわ。

 - “Notting Hill” starring Julia Roberts and Hugh Grant

ウィリアム(ヒュー・グラント)がアナ(ジュリア・ロバーツ)を振ったときに、アナが言うセリフである。

「アナ、あんたもかい!」と私。
映画の中のアナも、あのときの彼もアメリカ人。
「アメリカ人って、心が広いんだ!」という大発見。

そんな心の広い人に私もなりたい。
その目標は、正直、かなり遠い。。。

“Well now, I’d rather have you than a dozen boys, Anne.”

「赤毛のアン」は間違いなく私の殿堂入りのお気に入りの物語だ。
「赤毛のアン」はいわゆるアン・シリーズの最初の作品で、全9作品。
高校のときに翻訳本を、大学のときに英語の原書で全作品を読んだ。

この物語の私の好きなポイントはいくつかある。
そのうちのひとつが、アンへのマシューの深い愛情だ。
マシューとマリラと出会うまで、アンは愛情に恵まれなかった。

アンは3歳のときに両親を感染症で亡くす。
それからは、知り合いや孤児院に預けられ、まだ小学生ながら使用人のように扱われた。
愛されることのないこども時代を送ってきたのだ。

そして、11歳のとき、マシュー(兄)とマリラ(妹)の兄弟のもとへと預けられた。
当初、アンは送り返されるはずだった。
なぜなら、本来はマシューの農場を手伝わせる男の子が欲しかったのだが、手違いで女の子のアンがやってきたのだ。

このことをアンは決して忘れておらず、マシューが男の子を雇うことにしたときにも「自分が男の子だったら期待に応えて農家の手伝いができたのに」とこぼす。
そんなアンに、マシューはこう返す。

Well now, I’d rather have you than a dozen boys, Anne.
(参考訳)1ダースの数の男の子よりもアンがいいんだ。

Anee of Green Gables written by L.M. Montgomery

マシューは恥ずかしがり屋で、口数が少ない。
だからこそ、数少ないマシューの言葉には重みがある。

こんなこともあった。

アンはめったに贅沢はしないし欲しがらないのだが「今流行りのパフ・スリーブのドレスだけはどうしても着てみたい」と言ったことがあった。
マリラは言語道断とばかりに耳を貸さなかったが、マシューはめったにないアンの願いだからとパフ・スリーブのドレスをアンに買ってきてあげた。 このとき、アンがどんなに喜んだことか。

アンらが住んでいたアボンリーの町 (UnsplashCarl Campbellが撮影した写真)

マシューの言葉に戻る。
マシューの言葉はもう少し続く。

‘Well now, I’d rather have you than a dozen boys, Anne’, said Matthew patting her hand. ‘Just mind you that – rather than a dozen boys. Well now, I guess it wasn’t a boy that took the Avery scholarship, was it? It was a girl – my girl – my girl that I’m proud of. ’

Anee of Green Gables written by L.M. Montgomery

(参考訳)「1ダースの数の男の子よりもアンがいいんだよ、アン。」とマシューはアンの手を撫でた。「いいかい、1ダースの数の男の子よりもだよ。アベリー奨学金を獲ったのは男の子じゃなかっただろう? それは女の子だった。私の女の子だった。私の自慢のね。」

家族に恵まれなかったアンが「私の女の子」 と言ってもらえたこと、さらに 「自慢の女の子」と言われたこと。
どんなに嬉しかっただろう。

マシューの深い愛情に感動。
アンをたくさん愛してくれたマシューに感謝。