「本」カテゴリーアーカイブ

“I need plenty of rest in case tomorrow is a great day.”

ミニマリストに憧れて、本はすっかり処分してしまったが、スヌーピーの本は1冊残っている。
本棚の前を通ったとき、ほんのたまに、その本をパラパラと開くことがある。

それが今日だった。偶然開いたページにはこう書いてあった。

I need plenty of rest in case tomorrow is a great day.

明日はビッグイベントがあるかもしれないから、いまのうちにたくさん休んでおかなきゃ。

え~? ビッグイベントがあるかもだって?!
ないかもしれないじゃん。
っていうか、まずない可能性のほうが圧倒的に高いでしょう。
ただ怠けたいからそうやって言い訳しているだけでしょう?

。。。そうやってせっかくの週末も追い込んでいる私がいる。

to-do-listを短くするために必死にいつもせわしなく動いている私。
そのリストがいつになっても短くならなくて疲れている私。

明日はビッグイベントがあるかもしれないのに?
そんなに疲れていたら、ビッグイベントで元気が出なくなってるかもしれないのに?
明日こそ、ビッグイベント、来るかもよ?!

。。。さあ、どうしたらいいんでしょうねえ。

“There was something very special, but it wasn’t inside Josie. It was inside those who loved her.”

職場の方が カズオ・イシグロ “Klara and the Sun(邦題 クララとお日さま)” の本を貸してくれた。夢中になって読んだ。

主人公のクララは、AI搭載のロボット。
ジョシ―という14歳の女の子のともだち兼お世話係として購入される。
だが、クララの本当の役割は、病気がちなジョシーが亡くなったあとのジョシーの代わりとなるためだった。
クララは、ジョシ―の言動を観察して習得していく。
結局、ジョシ―の体調は回復していき、クララの役割も不要となった。
そして、クララは捨てられる。

AIはどこまで人間に近づけるのか。
人間とAIの違いは何なのか。
感情は人間だけのものなのか。

そんなことを考えさせらた。

UnsplashAlexander Sinnが撮影した写真)※画像と本文は関係がありません


一番印象に残った言葉は、最終章のクララの言葉。

ジョシーそっくりの人工人間を作成していたカパルディーが「ジョシーからコピーできないものは何もない」言ったことに対して、クララが話す。

There was something very special, but it wasn’t inside Josie. It was inside those who loved her.

引用元: “Klara and the Sun” written by Kazuo Ishiguro

コピーできない特別なものはある。それはジョシーの中にはない。彼女を愛する人々の中にある。

両親、友人、お手伝いさんなど、彼女を愛する人々の中のジョシーへの思いや思い出をコピーすることはできない。
物理的なものをコピーできても、その人へ向けられた感情はコピーできない、ということか。
その視点がとても新しい。

そして、それを言ったのが、ヒトではなくAI搭載のロボットのクララであること。
人間性ってなんだっけ? ヒトは人間性ってなんだかわからなくなったの。
クララ、もっとおしえて!

“Klara and the Sun“、圧巻でした。

“One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.”

箱根にある”星の王子さまミュージアム”がこの3月で閉館になると聞いて、慌てて出かけてきた。

星の王子さまの物語を初めて読んだのは、たぶん中学生のとき。
その後ずいぶん経ってから英語版で数回読んだ。
あの挿絵のかわいらしさと本の中の王子様の無邪気さにも関わらず、端々に考えさせられる発言や出来事があり、読むたびに新しい発見がある、大好きな物語だ。

星の王子さまミュージアムにて撮影

One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.
物事は心でしかよく見えない。大切なものは目には見えないんだ。

引用元:The little Prince written by Antoine de Saint-Exupéry

これは、物語のキーとなるフレーズだ。

星の王子さまミュージアムの展示の説明で、作家のサン=テグジュペリがこのフレーズを書くきっかけとなった原体験があったことを、今回初めて知った。
それは衝撃的な体験だった。

サン=テグジュペリには2歳下の弟がいた。とても仲が良かった。
15歳の弟はリウマチを患っていた。
サン=テグジュペリが弟の枕元に腰かけていたあるとき、弟に発作が起きた。サン=テグジュペリはどうしたら良いかと慌てたが、弟は彼を制し、そして発作が治まったあと、こう言ったという。

Don’t worry. I’m all right. I can’t help it. It’s my body.
心配しないで。ぼくは大丈夫。体がしていることだから、自分ではどうすることができないだけなんだ。

引用元:Antoine de Saint-Exupéry from Wikipedia

精神と肉体とは別物なんだ、と言いたかったのだろう。

その言葉を発したその日のうちに、弟は亡くなった。
弟が亡くなったあと、あらためてこの言葉を解釈してみる。

”悲しまないで。僕はここにいるよ。大切なものは目に見えないんだ。”

15歳にして達観していた弟。
そして、自分もまだ17歳の若さで大切な弟を見送ったたサン=テグジュペリ。
その経験があったからこそ、誰もが心を打つ言葉をこうして残すことができたに違いない。

“Well now, I’d rather have you than a dozen boys, Anne.”

「赤毛のアン」は間違いなく私の殿堂入りのお気に入りの物語だ。
「赤毛のアン」はいわゆるアン・シリーズの最初の作品で、全9作品。
高校のときに翻訳本を、大学のときに英語の原書で全作品を読んだ。

この物語の私の好きなポイントはいくつかある。
そのうちのひとつが、アンへのマシューの深い愛情だ。
マシューとマリラと出会うまで、アンは愛情に恵まれなかった。

アンは3歳のときに両親を感染症で亡くす。
それからは、知り合いや孤児院に預けられ、まだ小学生ながら使用人のように扱われた。
愛されることのないこども時代を送ってきたのだ。

そして、11歳のとき、マシュー(兄)とマリラ(妹)の兄弟のもとへと預けられた。
当初、アンは送り返されるはずだった。
なぜなら、本来はマシューの農場を手伝わせる男の子が欲しかったのだが、手違いで女の子のアンがやってきたのだ。

このことをアンは決して忘れておらず、マシューが男の子を雇うことにしたときにも「自分が男の子だったら期待に応えて農家の手伝いができたのに」とこぼす。
そんなアンに、マシューはこう返す。

Well now, I’d rather have you than a dozen boys, Anne.
(参考訳)1ダースの数の男の子よりもアンがいいんだ。

Anee of Green Gables written by L.M. Montgomery

マシューは恥ずかしがり屋で、口数が少ない。
だからこそ、数少ないマシューの言葉には重みがある。

こんなこともあった。

アンはめったに贅沢はしないし欲しがらないのだが「今流行りのパフ・スリーブのドレスだけはどうしても着てみたい」と言ったことがあった。
マリラは言語道断とばかりに耳を貸さなかったが、マシューはめったにないアンの願いだからとパフ・スリーブのドレスをアンに買ってきてあげた。 このとき、アンがどんなに喜んだことか。

アンらが住んでいたアボンリーの町 (UnsplashCarl Campbellが撮影した写真)

マシューの言葉に戻る。
マシューの言葉はもう少し続く。

‘Well now, I’d rather have you than a dozen boys, Anne’, said Matthew patting her hand. ‘Just mind you that – rather than a dozen boys. Well now, I guess it wasn’t a boy that took the Avery scholarship, was it? It was a girl – my girl – my girl that I’m proud of. ’

Anee of Green Gables written by L.M. Montgomery

(参考訳)「1ダースの数の男の子よりもアンがいいんだよ、アン。」とマシューはアンの手を撫でた。「いいかい、1ダースの数の男の子よりもだよ。アベリー奨学金を獲ったのは男の子じゃなかっただろう? それは女の子だった。私の女の子だった。私の自慢のね。」

家族に恵まれなかったアンが「私の女の子」 と言ってもらえたこと、さらに 「自慢の女の子」と言われたこと。
どんなに嬉しかっただろう。

マシューの深い愛情に感動。
アンをたくさん愛してくれたマシューに感謝。