「できごと」カテゴリーアーカイブ

“Hello, Ellen.” “Hello, Taro.”

私が英語を初めて習ったのは中学1年の学校の授業でした。

今は、小学校中学年あたりから英語の授業がありますが(英語圏出身の先生までいる!)、私の場合はもうウン十年も前のことなので、英語は中学からだったんです。

そうは言っても、クラスメートは小学校から始めている子もたくさんいました。中学で英語が初めてという子は少数派でした。

小学校から始めていたクラスメートにとっては、1学期の英語など基礎の基礎で、お手の物。
何の苦もなく、余裕で過ごしているように見えました。

一方、私はとても苦労しました。
教科書の最初の英語のフレーズは、
“Hello, Helen.” “Hello, Taro.”
だったのですが、それを教科書を見ずに覚えて発表することもできません。
“Hello, Helen.”と言ったあと、また教科書をチラ見して確認してから、“Hello, Taro.”を言ったのを覚えています。

それから、“chair”のスペルがどうしても覚えられなくて。
“エア”という発音と “air”のスペルがどうも 別物のように思えてしまって。
「このままではまずい」とさすがに焦りました。

UnsplashGreen Chameleonが撮影した写真

そのため、夏休みは英語に集中。1学期の復習を完璧にし、2学期の予習までして、2学期に挑みました。

おかげで、2学期はすっかり英語が好きになり、得意になっていました。
努力が実るという体験ができたのです。

猛特訓したあの夏休みがなければ、今の英語好きの私は存在しなかった。人生のターニングポイントでした。

今でも忘れられない EllenとTaro。 
それにしても、Taroっていう主人公の名前、いかにも昭和で笑っちゃいますね。

“Life must go on.”

私はオンライン英会話を受講しています。
顔なじみの先生とは、レッスンの前に「最近どう?」と近況を報告しあいます。

先日は、半年ぶりの講師Aのレッスン。いつもどおり、レッスンの前に「どうしてしてた?」と聞いてみました。

すると、Aは人生で激動の時期を過ごしていたことがわかりました。
この半年間で父親が死去、その1か月後には夫と別居することとなり、こどもたちと引っ越しをしたというのです。

告白を聞いた私は驚きました。
しばらく会っていな間に人生での大きなできごとが起こっていたことはもちろんですが、Aがいつもどおりの明るい笑顔なので、無理しているのではないかと心配しました。

彼女は笑顔のままでこう続けました。

「私には愛する3人の娘たちがいるから大丈夫。娘たちと一緒なら大丈夫。
Life must go on.
私はこれからも娘たちのために頑張っていくわ。」

“Life must go on.”

Life must go on.
(参考和訳)それでも人生は続いていく。

彼女の末の娘は、まだ小学生。確かに、落ち込んでいる暇はないかも。
彼女の明るい笑顔も、前向きな言葉も本物で、彼女はもう吹っ切れたに違いないと思いました。

UnsplashBarbara Krysztofiakが撮影した写真

彼女ならきっと大丈夫。たいていのことは乗り越えられる。

私にもつらいできごとがあったら、彼女の”Life must go on”の言葉を思い出して胸に乗り越えたいと思ったのでした。

“Where there’s a will, there’s a way.”

私の英語好きは、学生時代に出会った先生たちのおかげです。
運が良いことに、中学から大学まで英語の先生にずっと恵まれていました。
どの先生にもたくさんおしえてもらい、励ましてもらいました。

特に、高校のときのW先生にはとてもお世話になりました。
塾に行っていなかった私は、学校の先生を質問責めにしていました。

まあ、まずは文法の質問が多かったですよね。文法のとおりいくとこうなるはずが、この場合はなんでこうなっているのか、というような質問です。
今は「言語は理屈だけじゃ説明できない」ということを知っているので、深くつっこんでもしょようがないと思うのですが、そのときの私はまだそんな柔軟性も持たずにまじめに質問していました。
そんな私に、W先生は真摯につきあってくれました。

W先生もたいへんでしたよね。英語の先生なんだから英語のことは何でもわかるだろうと私は思っていたんです。そんなはずはないのですが、まあそれも今だからわかること。

それに、放課後私につかまったらもうしばらく帰宅できません。でも、W先生は嫌な顔ひとつしませんでした。

高校時代、英語だけは得意だったのは間違いなくW先生のおかげと言えます。

UnsplashZhaoli JINが撮影した写真

高校卒業の日が近づいてきた頃、友達同士でプロフィール帳を交換しました。
W先生にもプロフィール帳を書いてもらうのをお願いしました。

W先生は、私にこのメッセージを送ってくれました。

“Where there’s a will, there’s a way.”

“Where there’s a will, there’s a way.”
(参考訳)意志あるところに道あり

やると決めたら道は開ける、という意味ですね。

そして、私は大学の英文科に進むことが決まりました。W先生はとても喜んでくれました。これからも頑張ってね、と声をかけてくれました。

あれから何十年と経ちました。“Where there’s a will, there’s a way.”の意味が当時よりも今のほうがずっとずっと理解できます。
will (意志)がなければ何も生まれない。will さえあれば、方法や支援はなんとしてでも情報や方法は見つけることができます。

高校を卒業したあとの私の人生もいろいろありました。つらいときも苦しいときもありました。
でも、私がwillを持って今も英語を続けていること、英語で仕事をしていることを、W先生が喜んでくれていると思います。W先生が今もどこかで私を応援してくれているような気がして、元気が湧いてきます。

そんなW先生に、心より感謝を送ります。

“Kids are wonderful.”

20年以上も前の話ですが、サンフランシスコで10か月間ホームステイをしました。ホストファーザーのボブは、仕事も家事も育児もこなす大忙しのパパ。私はたくさんのことをボブから学びました。

ボブの一家の日常

当時、ボブ一家のこどもたちは、12歳、10歳、5歳の3人。ボブ一家の平日の予定はこんな感じ。

朝6時 起床
朝7時 家を出発 こどもたちを保育園と学校へ送る
午後3~4時 こどもたちを迎えに行く
午後4時 家で軽食
午後5時 こどもたちを習い事に連れていく
午後7時 夕食 夜9時 就寝

当時の私は育児を経験していないので本当のたいへんさは知らなかったのですが、それでも休む暇があまりないことは見てとれました。

そんななかでも、私に気をかけてくれ、こどもたちと一緒に何かと連れて行ってくれたり、おもしろいテレビ番組をおしえてくれたりしてくれました。

“Kids are wonderful!”

こどもたちが寝てしまったあと、ダイニングでボブと2人で話をしていたときのことです。

詳細は憶えていないのだけれど、私が「毎日忙しそうですね」と言ったことに対して、ボブは「そうだねえ、こどもは世話が焼けるんだよねえ」と言ったあと、

“Kids are wonderful!”

と続けました。

普段は大げさな表情や表現はしないボブ。だけれど、このときばかりは、見るからに幸せなパパの満面の笑みを浮かべていました。

3人のこどもはこんなパパを持ってなんて幸せなんだろう、とつくづく思いました。

そして、20年以上経った今も、忘れられない一言になっています。

この言葉の意味と深さ

時を経た今、私にも中学生の息子がいます。まだまだ育児真っ最中で、何かと手がかかります。育児の本当のたいへんさを実感しています。当時のボブと似たような状況を経験している今、私もボブと同じように「たいへんなんだけど、Kids are wonderful!」ってやっぱり答えるのかなあと思います。

ボブの現在

昨年、ボブの一番下の女の子が結婚して子どもも生まれました。そう、ボブはもうおじいちゃんになったんです。ボブは相変わらず優しそうなグランパになっていました。

https://unsplash.com/@liane

” I’m grateful for Nikkei. “

自分の世界観を変えたパラグアイの方の一言。今日はそれを紹介しますね。

パラグアイってどんな国?

パラグアイは、南アメリカにある国で、ブラジルとアルゼンチンの間に位置しています。母国語はスペイン語です。

日本との関係

第2次世界大戦前から日本政府はパラグアイに国民の移住を進めていました。当時の日本は、景気が悪く仕事がない状況でした。特に、沖縄では深刻な状況でした。

そんな背景があり、日本政府がブラジルをはじめ南米への計画移住を進めていたのです。

パラグアイ人の彼女が語る日系人

パラグアイのその彼女は、パラグアイにある小さな大学を設立した学長でした。学長と言えば日本では定年間近の60歳代の教授が務めるとが多いのですが、その彼女は若干40代でした。

彼女の地域にも日系人が住んでいるそうで、彼女が言うには、日系人はとても働き者。そして、大豆の栽培などの農業の技術をパラグアイにもたらしたそうです。

そして、彼女はこういいました。

“I’m grateful for Nikkei.”

“I’m grateful for Nikkei.
They came all the way to Paraguay and brought the wonderful culture of Japan to us.”

(参考訳)「私は日系人に感謝しています。彼らは遠いパラグアイまでわざわざ来てくれて、日本の素晴らしい文化を私たちにもたらしてくれたのです」

、、、私が移民で、こんなふうに迎えてもらったら感激で号泣しちゃいますね。

苦しい生活を抜け出したくて日本を飛び出し、遠い見知らぬ国、パラグアイに旅立った日本人。現地でも苦労したことと思います。そんなみなさんがこの言葉を聞いて、どんなにか救われることだろうと思いました。

新しい価値観

さて、この話は日本から海外に移住したケースですが、その逆を想像してほしいんです。海外から日本に移住したケースです。

例えば、韓国から日本に移住してきた人たち。在日コリアンだとか在日韓国人とも呼ばれる人々。
私たちは彼らに向かって「日本に来てくれてありがとう」と言うでしょうか。

また、フィリピンなどの東南アジアから移住してきた人たちに、「日本に来てくれてありがとう」と私たちは思っているでしょうか。

私たち日本人は、移住者に対して感謝するどころか、「なんで日本にいる?」「なんか危険そう」などの否定的な感情を抱いていないでしょうか。

そんなことを考えれば考えるほど、パラグアイの彼女の言葉の重みに感激し、新しい価値観に触れたことを実感しました。

パラグアイの彼女に心から感謝。

“I would love to meet for coffee.”

海外の人とやりとりをしている中で、英語のかっこいいフレーズに遭遇することがあります。このフレーズを目にしたときも「お~っ、そう来たか~!!」とテンションが上がりまくりでした(笑)

どんな状況で使う?

このフレーズは、カナダのある大学の職員からのメールでした。毎年世界規模の留学フェアが開催されるのですが、「そこでちょっと会いませんか?」と声をかけてくれたのです。

かっこいいポイントは?

“I would love to meet you. ”じゃないところがポイントですね。

“meet you”だと目標を私にねらいを定めて“私に会う”のが目的となりますが、”meet for coffee” だと “コーヒーを飲む”のが目的という感じ。

メールをくれた彼女とは、会ったことがありません。
初対面で、しかも英語ネイティブの彼女に “あなたに会いたい ”と言われたら、私などはどぎまぎしちゃって困ります(笑)

でも、”コーヒーでも飲もう” なら私の緊張もほぐれちゃって、「え~、どうしようかなあ~」とちょっと嬉しくなっちゃいます💕

誰かと会いたいときにさりげなく使える表現

“I would love to meet for coffee.”

初対面やまだそんなに親しい間柄でもないとき、相手が緊張しちゃうのではないかと思うとき、ただちょっと会いたいとき、そんなときに使えるかっこいいフレーズですね。

ところで

それで、お誘いを受けた彼女と結局会えた?

実は会えなかったんです。そのメールをもらった時点でもう会えないことが明白でした。なぜなら、私はその留学フェアへの参加予定がなかったから💦

でも、これからもチャンスはあるはず。そのときには、私が彼女に ”I would love to meet for coffee”. と言ってみたい、、、だけど、私にはまだ当面その度胸はつかなさそう💦