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アレクサンダーの俳句②

アレクサンダーの俳句②

Snow writing with footsteps. I’m adding my signature. (英訳)

足跡で雪に書く。私は署名を書き足す。(和訳)

俳句の背景 – アレクサンダーによる解説

One quiet winter morning, there was snow on the ground.
There was no one but me, walking in a park.
I was writing on the snow with my footsteps,
and my last step was my signature.

アレクサンダーによる解説

冬の静かな朝でした。雪が積もっていました。
私は誰もいない公園を歩いていました。
雪の上を歩く足跡は、雪の上の文字となり、最後の足跡は私の署名(サイン)となりました。

参考和訳
アレクサンダーの家の庭とペットの猫。アレクサンダー撮影/提供

注釈:アレクサンダーの俳句と言語

アレクサンダーの母語はセルビア語です。
彼はで俳句をセルビア語で詠み、それを先生に翻訳してもらったものがこの英語の俳句です。

そのため、セルビア語では5-7-5の韻を踏んでいても、英語になるとそれが必ずしもそのとおりではなくなっていることがあります。

また、英語はアレクサンダーの母語ではないので、英語の俳句では、彼のオリジナルの俳句とはニュアンスが違う、英語が不自然などのことが起こりえます。

“There was something very special, but it wasn’t inside Josie. It was inside those who loved her.”

職場の方が カズオ・イシグロ “Klara and the Sun(邦題 クララとお日さま)” の本を貸してくれた。夢中になって読んだ。

主人公のクララは、AI搭載のロボット。
ジョシ―という14歳の女の子のともだち兼お世話係として購入される。
だが、クララの本当の役割は、病気がちなジョシーが亡くなったあとのジョシーの代わりとなるためだった。
クララは、ジョシ―の言動を観察して習得していく。
結局、ジョシ―の体調は回復していき、クララの役割も不要となった。
そして、クララは捨てられる。

AIはどこまで人間に近づけるのか。
人間とAIの違いは何なのか。
感情は人間だけのものなのか。

そんなことを考えさせらた。

UnsplashAlexander Sinnが撮影した写真)※画像と本文は関係がありません


一番印象に残った言葉は、最終章のクララの言葉。

ジョシーそっくりの人工人間を作成していたカパルディーが「ジョシーからコピーできないものは何もない」言ったことに対して、クララが話す。

There was something very special, but it wasn’t inside Josie. It was inside those who loved her.

引用元: “Klara and the Sun” written by Kazuo Ishiguro

コピーできない特別なものはある。それはジョシーの中にはない。彼女を愛する人々の中にある。

両親、友人、お手伝いさんなど、彼女を愛する人々の中のジョシーへの思いや思い出をコピーすることはできない。
物理的なものをコピーできても、その人へ向けられた感情はコピーできない、ということか。
その視点がとても新しい。

そして、それを言ったのが、ヒトではなくAI搭載のロボットのクララであること。
人間性ってなんだっけ? ヒトは人間性ってなんだかわからなくなったの。
クララ、もっとおしえて!

“Klara and the Sun“、圧巻でした。

“One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.”

箱根にある”星の王子さまミュージアム”がこの3月で閉館になると聞いて、慌てて出かけてきた。

星の王子さまの物語を初めて読んだのは、たぶん中学生のとき。
その後ずいぶん経ってから英語版で数回読んだ。
あの挿絵のかわいらしさと本の中の王子様の無邪気さにも関わらず、端々に考えさせられる発言や出来事があり、読むたびに新しい発見がある、大好きな物語だ。

星の王子さまミュージアムにて撮影

One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes.
物事は心でしかよく見えない。大切なものは目には見えないんだ。

引用元:The little Prince written by Antoine de Saint-Exupéry

これは、物語のキーとなるフレーズだ。

星の王子さまミュージアムの展示の説明で、作家のサン=テグジュペリがこのフレーズを書くきっかけとなった原体験があったことを、今回初めて知った。
それは衝撃的な体験だった。

サン=テグジュペリには2歳下の弟がいた。とても仲が良かった。
15歳の弟はリウマチを患っていた。
サン=テグジュペリが弟の枕元に腰かけていたあるとき、弟に発作が起きた。サン=テグジュペリはどうしたら良いかと慌てたが、弟は彼を制し、そして発作が治まったあと、こう言ったという。

Don’t worry. I’m all right. I can’t help it. It’s my body.
心配しないで。ぼくは大丈夫。体がしていることだから、自分ではどうすることができないだけなんだ。

引用元:Antoine de Saint-Exupéry from Wikipedia

精神と肉体とは別物なんだ、と言いたかったのだろう。

その言葉を発したその日のうちに、弟は亡くなった。
弟が亡くなったあと、あらためてこの言葉を解釈してみる。

”悲しまないで。僕はここにいるよ。大切なものは目に見えないんだ。”

15歳にして達観していた弟。
そして、自分もまだ17歳の若さで大切な弟を見送ったたサン=テグジュペリ。
その経験があったからこそ、誰もが心を打つ言葉をこうして残すことができたに違いない。

“I ended up with one movie only.”

1月を1週間も過ぎたのに、まだクリスマスの話?

そのとおり。
キリスト教の一派であるセルビア正教では、本日1月7日がクリスマスにあたる。

オンライン英会話の講師のイヴァナにそれを教わった。
セルビアではセルビア正教が一番メジャーで、その次はカトリック。
カトリックでは12月25日がクリスマス。

イヴァナの場合は、一方の親がセルビア正教、もう一方がカトリックということで、小さいころから両方のクリスマスを祝っているという。
12月24日頃から1月7日頃までお祭り気分で、この期間はあまり仕事を入れないようにしているとのこと。

「年末年始のお休みは何していたの?」とイヴァナが私に質問。
「少し大掃除をして、実家に帰って、テレビをたくさん観た。でもやりたいことの半分もできなくて残念だった。」と私。

すると、イヴァナが「わかるわ~」と、自分が休みの間に何をしていたのか話してくれた。

” I planned to read several books, including one 500-page book, and to watch 10 movies for the holiday, but I ended up with one movie only after all. We tend to have high expectations of the holiday. “

計画では、500ページもの本を何冊かを読んで、それから映画を10本観ようと思っていた。なのに、結局映画1本しか観られなかった。休みって、期待しすぎちゃうよねえ。

。。。いやいや、そもそも映画だけでも10本観るという計画に無理があったのでは?!

まあ、私も人のことは言えません。
それでも、こんどの長い休みのときこそもっとたくさんのことをしたいなと思う、イヴァナと私。

アレクサンダーの俳句①

U ZIMSKO VEČE LUTAJUĆI TRAŽIM OSVETLJEN PROZOR. (原作:セルビア語)
One winter evening, wandering, searching for lit windows.(英語訳)
冬の夜 窓明かり求め さまよい歩く(日本語訳)

俳句の背景 – アレクサンダーによる解説(和訳)

高校を卒業したあとは、実家を出て一人暮らしをしながら専門学校に通った。
12月の放課後のある日、あてもなく歩き回った。
とても寒い日で、もうすぐ雪が降りそうな空気のにおいがした。
明かりがついた窓から、どんな人が住んでいるんだろうと思ったりした。
家族や実家を思い出しながら。
23歳のとき、当時のことを思い出して、この句を詠んだとのこと。

アレクサンダーの寝室。画像はアレクサンダー提供。

アレクサンダーの日本文化との出会い


セルビアに住むアレクサンダーは、大の日本好き。
海外の人が日本に関心を持ってくれる多くの場合は、アニメがきっかけなことが多いが、彼の場合はアニメではない。
彼は、日本の伝統文化である、盆栽、俳句、包丁や器を作る伝統工芸に深く感銘を受けたからだと言う。

セルビアに住む彼が日本に興味を持ったきっかけ

セルビアという日本から遠く離れた国で、どうやって日本のことを知ったかというと、ある本を読んだことからだと言う。

その本は、ドナルド・キーン作 “Anthology Classic Japanese Literature” だった。原作は英語だったのだが、彼はセルビア語の翻訳本を読んだという。

当時、その本は劇場や図書館で特集され、何かと話題だったらしい。
アレクサンダーは、隣町の図書館でのイベントでこの本を知り、読むことになったと言う。
1987年、彼が20歳の頃のことだった。

クラリエボ(セルビア)の俳句クラブ

その後、彼の町に俳句クラブができたことでも、その本の影響力がわかる。

彼の町クラリエボは、セルビアの首都ベルグラードから少し南に下ったあたりで、国のちょうど中央に位置する地方都市。
調べると人口は12万人。
日本から遠く離れたこの小さな町で、20人ほどのメンバーが所属する俳句クラブが生まれたのだ。

どんな活動をしていたのかをアレクサンダーに聞いたのだが、よくわからない。
いや、特に何もしていないとアレクサンダーは言う。
クラブに名前は登録したけれど、集まったりはしなかったという。
俳句の先生がいたわけでもないらしい。
どこかで俳句大会があると、応募したメンバーが賞をとったこともあったらしい。
そのころ、アレクサンダーに言われるがままに、自分の写真やら名前やらを送ったことで、私もそのクラブに所属していたことになっていたはず。

日本語を使わない俳句

アレクサンダーもクラリエボの人もセルビアの人も、日本語はまずできない。
なので、言語はセルビア語を使って俳句を作ったらしい。

俳句のルールは、日本のそれともちろん似てはいるが、違う点もある。

似ているところは、5-7-5。
単語の発音記号にアクセントが付く箇所を数えて、5-7-5とするらしい。
(注:調べたら、音節で数えるとの記載もあるようですが、ここではアレクサンダーの話)

違う点は、季語はどうもあってもなくても良いらしい。
アレクサンダーに季語のことを聞いても、なんのことだかわかっていなかった様子。

UnsplashSunguk Kimが撮影した写真)※画像と本文は関係ありません

アレクサンダーと俳句

アレクサンダーが俳句に深く傾倒している時期はそのクラブに所属していたときだったのではと思う。

1991年から2001年まで、セルビアはほぼ常に内紛状態。
1990年代前半、アレクサンダーが兵士として招集されたとき、彼の無事を願う俳句を私に作って送ってくれと頼んできた。

私はもちろん大急ぎで作って手紙で送った。
(当時はまだメールもしていなかった)

彼が兵役から無事戻ってきたあとも、その間何があったのか話をしないし、私も無理に聞き出そうとしていないので、その厳しい状況をどうすり抜けてきたのかわかるわけもない。
だけれど、彼にとって俳句が心の支えだったことは間違いないと思う。

“We can’t stop chatting, just like in those days.”

私の親友は、マリア・エレナ。
ブラジル人の彼女は、おおらかで、楽観的で、冒険的で、それでいて哲学的な考えも持ち合わせていた。

彼女と初めて会ったのは、1997年の夏、サンフランシスコだった。
26年も前。そんなに経ったのかとめまいがしそうだ。

きっかけは、UC Berkely at San Franciscoの語学プログラムで同じクラスになったこと。
授業のないときは、一緒に出かけたり、ただただ話し続けたりした。
私は彼女とスピリチュアル的な話や人生論的な話をするのが楽しかった。
2人とも関心が似ていたのかな。
彼女は自分のことを話してくれたし、私も自分のことを素直に話せた。
そんな友人を見つけるのはそんなたやすいことではない。

彼女と知り合って4か月後に、私は日本に帰国。
彼女はその後数年に渡ってサンフランシスコに滞在を継続。
その数年間で、パートナーに出会い、赤ちゃんも授かった。
その話もとても興味深い。それはまた別の機会に書きたいと思う。

2001年、私が大学の交換留学でシカゴに滞在したのち帰国する際、サンフランシスコに寄って彼女と感激の再会。
数年の間に何が起きたかお互いに近況報告をして、とても楽しいときを過ごした。

それからの20年間は、メールやらFacebookのMessengerやらでたまに連絡し合っていた。
私は筆まめなほうなのだけれど、彼女は筆不精。
1年に1回くらいは簡単な一言が来るけどそれだけが何年も続いた。
「マリア・エレナは私を忘れたのか?!」「私を親友なんてもう思っていないか。。。」と思ってきた頃だったのだが、、、

UnsplashOmar Lopezが撮影した写真)※画像と本文は関係ありません


このお正月休みに、なんと、彼女からMessengerで連絡が来た。
すぐに返信すると、彼女もすぐに返信をくれた。
「せっかくなのでビデオで話そう!」となり、何年ぶりかに マリア・エレナと画面越しに対面を果たしたのだ。

マリア・エレナだ。あのマリア・エレナ。
顔がちょっと丸くなった?
マリア・エレナの話し方、全然変わっていない。

あのとき赤ちゃんだったガブリエルまで登場。
背が高くてひげ面で、えらく低い声。
あんなにかわいい赤ちゃんだったのに。
1年前にアメリカの大学を卒業して、ボストン近くでイギリス系の会社で、ソフトウェアのエンジニアをしているという。
すっかり立派になったじゃないの。

「これからはもっと話そうね!」とお互い名残惜しく1時間弱の会話を終える。
マリア・エレナと画面越しに久しぶりに会えて、とっても嬉しかった、楽しかった。
こんなにいい新年の始まりはない。

ビデオ通話のあと、彼女からこのメッセージが届く。

We can’t stop chatting, just like in those days.

あのときみたいに、話が終わらないね。

話し足りない私たち。
近いうちに必ず続きをしましょう。


“I love you, man. Always have, always will.”

2019年10月は、コロナ騒ぎが始まる直前だった。
上海出張の帰りの飛行機の中で、“Rocketman”の映画を見た。
エルトン・ジョンの半生を彼の音楽でミュージカル仕立てにしたものだった。

私は流行りものの音楽はまったくついていけず、何の曲だか誰が歌っているのか全くわからないのだが、エルトン・ジョンだけはちょっと知っていた。ホームステイ先で彼のコンサートに連れて行ってもらっのがきっかけで、少し聞いてみたりしていた。

話は映画に戻る。
“Rocketman”の映画に号泣してしまった。
飛行機の中で、号泣中の号泣。

~ここから少しネタバレかもしれないので気をつけてください。~

エルトン・ジョンは両親に愛されず孤独な少年だった。
「両親に愛されたい」という思いを抱き続けたまま、大人になった。
すっかりスターになったあとも。

最後まで彼は親に愛されることなかったが、仕事ではバーニー・トーピンという素晴らしいパートナーを得る。

Elton John : Bernie, I never told you how much I need you.
Bernie Taupin : No, no. I love you, man. Always have, always will.

エルトン・ジョン:バーニー、今まで言ったことがなかったけれど、自分が君をどれだけ必要としていることか。

バーニー・トーピン:そんなことはわかっている。君は大切な人だ。これまでだってそうだったし、これからだって。

バーニーが詞を書き、エルトンが曲を作った。
いつも順風満帆な友情であったわけではないけれど、お互いに「大切に思っている」と言える関係だった。

エルトンが一番望んでいた親の愛情は得られなかったけれど、素晴らしい友情が得られたのがせめての救い。

自分のことをずっと大切に思ってくれる人がいるって素晴らしいですね。
そんなことをしてくれる人を見つけるのは難しいけれど、自分が誰かを大切に思うことならできるからしたいと思う。

その誰かは、もちろん私の息子です。

“I love you, honey. Always have, always will.”

“Things can Change.”

仕事の悩みが尽きない。

一番の悩みは、やっぱり人間関係。
私の仕事は他部署との連絡が必然なのだが、その他部署とうまくいっていない。
お互い役割分担があるのに、他部署からは「そっちがやれ!」と仕事を押し付け合られる感じ。
こちらがやっても当たり前のような顔をされる。

あ~、悲しい。。。
この8か月間で、辞めたいと何度思ったことか。
(なんと、まだ転職したばかり💦)

フリーランスになりたいなとこの数年間思っている。
給料をもらう身だと、自分の興味のないこと、自分の意思に反していること、楽しくもないことに自分の時間を無駄に費やしているようで。
でもだからと言って、勤めを辞めて、独立して、いったい何を仕事としてお金を稼ぐのかがわからない。
いっときの感情で辞めてしまっては、経済的に困るのだ。

こんな感じで何年ものときを過ごしてしまった。
いつものようにぼやいていたら、こんなことを言われた。

Things can change.

いつか状況も変わるかもよ。

ものごとを無理に変えようとしなくても、自然に変わっていくこともあるからね。
ものごとを変えられなければ、ものごとが変わるのを待つしかないか。

私の場合、どんな変化がありえるだろう。
関係部署の人たちがみんな異動して、新しい人が来るとか?!
それとも、うちの部署の上司がえらい権力を持った人に交替して、他部署の人たちを従わせるとか?!
それとも、私が独立できる良い仕事のオファーが来るとか?!

どんな変化が起こるか楽しみになってきた。
それまでなんとか生き残ることにしましょう。。。

“You have a beautiful son.”

私には息子が一人いる。
もうすぐ14歳になる。

あっという間に大きくなった。
ついこの間まで、足が短くてよちよち歩きがかわいかった私の息子。
今では足がすらりと伸びて、ずいぶんスタイルが良くなっちゃったじゃないの。

ここまで大きくなっても、まだかわいい。
以前と同じかわいさではないけれど、今は今で、とってもかわいい。

でも、私の息子に会ったこともない人から、

You have a beautiful son.

(参考訳)あなたには素晴らしい息子がいるじゃないの。

と言われて、なんだか納得がいかなかった。
私の息子に会ったこともないのになぜそんなことを言うの?!

その後、別の人にまた言われたとき、あらためて考えた。
なんでそんなことを言うのかを。

よく考えたら、こどもは素晴らしいに決まっている。
自分のこどもでなくても、息子のお友だちでも、男の子でも女の子でも、みんな素晴らしいと思う。
こどもって、存在自体が尊い。
いてくれるだけで素晴らしい存在。

。。。そうなると、私の息子が素晴らしいのは誰の目にも明らか?!

今度またそう言ってもらえたら、私もこう返してあげよう。

Yes, thank you, just like yours.

(参考訳)ありがとう。そうなんです、あなたのお子さんのようにうちの子も素晴らしいんです。